宮崎港は、古くは赤江港と呼ばれ、大淀川の河口港として鎌倉時代より船舶(せんぱく)の往来(おうらい)が盛んでした。文化年間(江戸時代)には阪神方面との交易(こうえき)が開け、林産物、農産物を移出(いしゅつ)し、加工品等の移入(いにゅう)を行うなどにぎわいを見せていました。
一方、大淀川は、複雑な領主権(りょうしゅけん)に左右されて治水(ちすい)工事が行われず、比較的良性の河川であったものの、台風時の洪水の頻発(ひんぱつ)や大規模な河口の移動、閉塞(へいそく)を見せ、舟運(しゅううん)を妨げていました。
明治33年には日向汽船が創設され、神戸、大阪、鹿児島、多度津(たどつ)との間に60総トン及び350総トン級の汽船が就航するまでになりましたが、航路の維持はたいへんでした。
やがて、大正年間に入って宮崎鉄道、国鉄日豊本線等が開通し、これらによる輸送体系の変革にともなって、港勢(こうせい)は衰退(すいたい)し、以後長く低迷することになりました。
昭和31年 昭和32年7月 昭和41年 昭和44年9月 昭和48年3月 昭和48年4月 昭和55年12月 昭和56年2月 昭和62年1月 昭和62年6月 昭和63年11月 平成2年3月 平成2年4月 平成6年3月 平成6年4月 平成7年4月 |
局部改良事業に着手 導流堤の建設に着手 岸壁工事に着手 第一船入港 港湾計画策定 重要港湾指定 漁業補償調印 南防波堤工事着手 砂州の改作に成功 北航路、南航路供用開始 港開き式 港湾計画改訂 フェリー岸壁(−7.5m) フェリーターミナルビル完成 フェリー(大阪便)就航 (−9.0m)岸壁完成 フェリー(川崎便)就航 超高速船(種子島・屋久島)就航 |
* むずかしいことばの意味
河口港・・・川が海に流れ込むところにある港
往来(おうらい)・・・行ったり来たりすること
交易(こうえき)・・・互いに品物を交換して商売すること
移出(いしゅつ)・・・ある地域から他の地域へ貨物を出すこと
移入(いにゅう)・・・ある地域がある地域から貨物を入れること
領主権(りょうしゅけん)・・・領主の主人の持つ権力
治水工事(ちすいこうじ)・・・水の流れをよくして河川の氾濫(はんらん)などを防ぐための工事
頻発(ひんぱつ)・・・しきりに事が起こること
閉塞(へいそく)・・・とざされふさがること
舟運(しゅううん)・・・船で貨物を運んだり、交通したりすること
多度津(たどつ)・・・香川県仲多度郡(なかたどぐん)の町。瀬戸内海の要港
汽船(きせん)・・・蒸気の力で動く船
港勢(こうせい)・・・港の勢力
砂州(さす)・・・砂嘴(さし)が入り江の対岸まで達していること
砂嘴(さし)・・・砂や小石が細長く堆積しているところ